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武蔵

武蔵の歴史

武蔵カントリークラブの発足

昭和32年(1957)10月、霞ヶ関カンツリー倶楽部で行われたカナダカップ国際大会において、日本は世界の強豪を尻目に団体優勝、個人でも中村寅吉プロが優勝という快挙を遂げた。これを受け、日本国内にゴルフブームが起きゴルファーが急増した。

初代理事長 高石真五郎氏

初代理事長 高石真五郎氏

武蔵町(現入間市)でもゴルフ場建設へ向けた動きがあり、関係者が建設に向け準備を開始。発起人には高石真五郎氏(元毎日新聞社長、IOC日本委員、JGA理事)が中心となって就任し、株式会社武蔵カントリー倶楽部が昭和33年4月21日に創立。4月30日には帝国ホテルで発起人会が開催され、武蔵カントリークラブがスタートしたのである。

第一回の理事会では、コースの設計を井上誠一氏に依頼すること、ノータッチプレーが可能になるまでオープンしないこと、及び正会員を株式会員として募集することなどの基本方針が決定された。

この決定に基づき、第1次会員募集を行なったが、わずか4日間で満杯。その後の募集も全て予定通りに終了した。これは入間、狭山両市と地主の協力を得て平坦で地味の良い用地全てを確保できたこと、井上誠一氏によるコース設計、会員一人ひとりを株主とし、会員主体のクラブ運営を図るというポリシーが評価されての賜であった。

豊岡コースと笹井コースの誕生

豊岡コースの造成工事は順調に進んだ。高低差の少ない地形のため高いマウンドを造り、複数の深いバンカーで囲んだ砲台型の小さなグリーン。フェアウエイの両側にダブルバンカーを置くなど、バンカーの数は114に及んだ。こうした造成は、すべて手作業で行なわれブルドーザーなどの重機を入れなかったため、表土が柔らかく保たれ、芝着きは最高の状態となった。(フェアウエイやグリーンは微妙なアンジュレーションを保つことになる)

クラブハウスは、レーモンド建設設計事務所によるモダンな打ちっぱなしコンクリートが特徴で、上から見ると横長の十字の形状であった。

こうして、クラブ発足の翌年昭和34年(1959)7月21日に豊岡コースが開場。盛大な開場式が挙行された。式典では高石理事長の開場挨拶につづき、1番ティーインググラウンドに張られた紅白のテープにハサミが入れられると、一瞬の静寂を挟み、メンバーの拍手が武蔵野にこだました。この瞬間、豊岡コースは正式に誕生したのであった。

オープン当初の豊岡旧クラブハウス

オープン当初の豊岡旧クラブハウス

豊岡コース開場式 右から井上誠一氏、高石真五郎氏、野間省一氏

豊岡コース開場式
右から井上誠一氏、高石真五郎氏、野間省一氏

笹井コースの建設計画は、昭和33年11月20日の理事会からスタートし、コースの基本設計は今回も井上誠一氏に依頼された。コースの造成工事とハウス建設工事が昭和34年4月7日に着工された。

コースの特徴は、距離が7,010ヤードと豊岡コースより約200ヤードも長く、バンカーは83個と逆に27個もすくないことだった。豊岡に比べると大きなグリーン周辺にはマウンドを造り、少し離れた箇所には大きめのバンカーを配置。砲台グリーンは少ない設計だった。

クラブハウスは豊岡とは対照的に和風を採用。ハウス二階にある食堂の天井は、ハウス前の山林で育った檜を丸太として使い評判が良かった。

工事はその後も順調に進み、同年11月20日に完成。即日開場式を挙行した。その後22日から28日まで7日間に渡り行なわれた開場記念トーナメントには、1,182名と多数の会員が参加し、開場を盛大に祝ったのである。これにより武蔵カントリークラブは、36ホールのコースとなった。

建築中の旧笹井クラブハウス

建築中の旧笹井クラブハウス

笹井コースの開場式のテープカット

笹井コースの開場式のテープカット

コース・ハウスの変遷

コース・ハウスが時代と共に変化し老朽化も始まる。委員会・理事会は時の変遷を経て、会員の意見を取り入れながら諸問題を検討し、改造・建設計画を慎重に進めてきた。

コースの改良に関しては井上誠一氏に設計・監修を依頼。氏亡き後は、愛弟子の大久保昌氏に設計・監修を依頼し改良を行なってきた。

近年ゴルフクラブやボールが改良され飛距離が大幅に伸びたため、それに伴うコース延長、バンカー改修・改造、ボールの飛び出しによる安全面の確保等を行なってきた。また、樹木の成長によるグリーンやフェアウエイの日照不足を改善するため、伐採や剪定を積極的に進めてきた。更に近年のゲリラ豪雨に対応するため、コース内やバンカーの排水工事も行ってきた。このような様々な手段によりコースコンディションを良好に保っている。

オープンして間もない豊岡8番高麗グリーン

オープンして間もない豊岡8番高麗グリーン

グリーンは、オープン当初からベント・コーライの2グリーンを使用し、冬季においても快適な状況を維持してきたが、より良いグリーンを求め、昭和58年(1983)からサンド化を行い、平成5年に笹井、平成9年には豊岡が2グリーンともベントとなった。さらに、豊岡コースは平成18年より「PennA-1」へ品種替え工事を行い、現在もホワイト、レッド両グリーンで使用し、パッティングクオリティの高いグリーンを提供している。また笹井コースは平成26年の1グリーン化の際にニューベント「007」を採用した。

クラブハウスは、昭和39年(1964)に立案された計画に基づき両コースとも改修を行なった。その後も、来場者や女性ゴルファーの増加に伴いコンペルーム、浴室、女性ロッカー等の増築工事を重ねたが、近年は老朽化が進み耐震等の問題から豊岡コースは平成18年、笹井コースは平成26年に建替え工事を行い、安心してクラブライフを楽しめるようになった。

新たな時代に向けて

平成18年(2006)豊岡コースではクラブハウスの建替え工事と平行して平成21年に開催が予定されていた日本オープンへの対応が進みつつあった。グリーンの品種替え工事は既に着手していたが、ティーインググラウンドの延長、バンカーの改修・改造、植樹などの工事が新たに始まった。

豊岡コースのクラブハウスは平成17年11月に着手され、約10ヶ月間仮クラブハウスで営業を続けながら建替え工事を行った。翌年の平成18年9月16日に新クラブハウスは竣工し、3日間竣工記念懇親会が開かれた。

豊岡コースの新クラブハウス

豊岡コースの新クラブハウス

クラブハウス竣工後、豊岡コースでは平成21年の日本オープン開催への準備が着々と進んでいった。また、同じ年の3月27日に武蔵カントリークラブの開場50周年を記念したタウンパーティーが東京丸の内の東京會舘で開催され、400名近くが参加し大いに盛り上がった。

平成21年(2009)10月15日~18日 第74回日本オープン選手権競技が豊岡コースで開催された。武蔵カントリークラブでは男子のオープン試合は27年ぶり3回目の開催となった。トータル45,000人余りの来場者があり大変盛況だった。最終、小田龍一、石川遼、今野康晴3選手によるプレーオフになり、その結果小田龍一選手が優勝した。

日本オープン終了後、以前から懸案であった笹井コースのリニューアル計画が本格化しはじめた。平成22年会員からコースの改造、クラブハウス建替えの様々な提案がなされ理事会でこれを審議し、平成23年から会員へ計画の説明が行われた。論点が多岐に及び意見集約に時間がかかったが、丁寧な説明を繰り返すことにより総意がまとまった。

平成25年(2013)5月から翌年の3月まで約11ヶ月間コースを休業してクラブハウス建替えと1グリーン化を含むコース改造工事を集中的に実施した。平成26年4月1日にクラブハウスが竣工オープンし営業に入ったが、コースの養生を考え9月までの約5ヶ月間は仮オープンとし、制限の伴った営業を続けた。この年の9月12日に笹井コースが正式にリニューアルオープンし、9月13日から15日まで竣工記念懇親会が開催された。これで笹井コースもクラブハウスの建替え、コースの改造が完了し、武蔵カントリークラブは豊岡コース、笹井コースとも創立以来50年を経て新たな歩みを進めることとなった。

笹井コースの新クラブハウス

笹井コースの新クラブハウス

平成30年(2018)9月20日~23日、第50回「アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ ダイヤモンドカップゴルフ」(旧 ダイヤモンドカップゴルフ)が笹井コースで開催された。日本・アジア地域のトッププロが参加した同大会は注目度も高く、小雨の降るなか初日から多くのギャラリーが集まった。結果は、池田勇太選手が2位に6打差をつけ独走する形で優勝。美しく生まれ変わった笹井コースを、広く世間にアピールする良い機会にもなった。

池田勇太プロ

優勝 池田勇太プロ

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